闇を裂く、緋色の刃

 武蔵坂学園に入学してからは、平穏な時間が流れた。
 家族をなくす以前の穏やかさを取り戻し、クラスメイトやクラブの仲間ともうまくやっていた。
 それは、普通の学生となんら変わらない青春のひと時だった。
 自分の居場所が欲しいという、海の欲求は叶えられたのだ。

 だが、灼滅者は、決して普通の学生では、ありえなかった。
 
 日本各地で起こるダークネス絡みの事件。
 それに対応できるのは、灼滅者しかいない。

 学園の頭脳、エクスブレインがキャッチした情報を元に、灼滅者たちは戦いへ身を投じていく。
 それが彼らの、青春の風景だった。

 だが、海は積極的にそうはしなかった。

 クラスメイトの一人が、海に何故戦いに志願しないのかと聞いたことがある。
 海はこう答えた。
「僕の力は、家族を殺した奴の力だ。
 家族を殺した奴に近づいてしまうのが怖くて、力を使いたくない。」



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 夜の井の頭公園を、海は歩いていた。
 一人の女学生が、前を歩いていた以外には、誰もいない。
 静かな夜だった。わずかに虫が鳴いている以外には、何も聞こえない。
 そう、何も聞こえなかった。
 そんな中だった。何の前触れもなく、空中に異様なものが現れたのを、海は見つけた。
 長さ1mはあろうかという目玉紋様が空中に浮かび上がり、紫色に妖しく輝いていた。
 模様は妖しく明滅し、また大きさや形を変えたりしていた。海には何かの信号を送っているかのように見えた。
 ふと、我に返った。
 前を歩いていた女学生が顔を上げて、それに魅入っている。
 海はとっさに走り出した。
 女学生の肩を掴み、揺さぶる。
「それを見ちゃいけない!」
 ひっ、と叫んだ女学生は、それまで完全に我を忘れていたようだった。
 海は有無を言わさず女学生の手を引き、その場から離れる。
 公園の出口まで走る。 目玉は、その形を不気味に変形させながらこちらを追い駆けてきていた。
 幸い、それは一つだけだった。追い駆けてくる目玉は逃げ切れないほど早い。公園の出口まで何もないのを確認した会は、女学生の手を離した。
「はやく逃げるんだ!」
 海がこう言うと、おののきながらも何とか頷いて、叫び声をあげて逃げていった。
 振り向き、目玉と向かい合う。
 それは確かに何らかの催眠作用がある模様だった。「タトゥーバット」という名の眷属だ。闇夜に浮かび上がるように光る目玉紋様が羽にある、巨大な蝙蝠である。
 いつのまにか増えていた。最初にいた一匹だけでなく、今は左右に一匹ずつ増え、包囲するように三対の目玉が海を見つめている。
 それは逃げて行った女学生には目もくれずに、海のほうへと近寄ってきた。近寄るにつれ、甲高いキィキィと言う鳴き声が聞こえてきた。海の耳には心なしか、それが宣戦布告に聞こえた。
 灼滅者は闇堕ちしやすいことから、ダークネスの標的にもなりやすい。灼滅者にとって、襲撃は日常で十分ありうることなのだ。
 力は使いたくなかった。だが、今は止むを得ない。
 海は覚悟を決めた。
 腰に下げていた解体ナイフを抜く。
 まず距離を確認する。どちらもナイフの間合いの外だ。
 海は、心の中でイメージを浮かべた。密閉されたボンベの栓が開けられるイメージだった。
 ボンベが開くと、現実に海の左掌から炎が巻き起こり、闇の中に緋色の光が舞った。
 ファイアブラッドのサイキック、「バシニングフレア」だ。海は掌を敵の方に向けると、イメージの中でボンベをさらに緩め、火力を強めた。
 噴き出す炎が、敵を凪いだ。
 蝙蝠の眷属は一瞬怯んだが、素早く反応し、散会した。
 右から、耳をつんざくような音が聞こえた。いや、聞こえたと言うより、それは鼓膜に襲い掛かる音の暴力、鋭い超音波の刃物だ。それ自体がダメージとなる。
 顔をしかめつつ音が飛んできた方に向き直り、解体ナイフを構え直す。
(一体ずつ対応するべきだ)
 そう考え直した海は、右手に握った解体ナイフに意識を集中した。
 ナイフと言うにはあまりに長い、刃渡り60cm余りのそれに向けて、イメージのボンベを開く。
 サイキック、“レーヴァテイン”。
 刃は熱を帯びて緋色に輝いた。
 蝙蝠は超音波を発しつつ、目玉紋様を大きく広げた。視覚と聴覚に訴えかける異様な攻撃、常人ならば一瞬で発狂してしまうだろう。だが海は強く息を吐くと、精神力で耐え、しっかりと敵の姿を見据えて跳躍した。
 熱を帯びた緋色の刃が、闇夜に弧を描いた。
 空中でのすれ違い、着地し残心の姿勢をとる。蝙蝠の羽は片方が真っ二つに斬られ、断面から染みが広がるように、炎の線が広がり、全身を黒く焦がしていった。
(まずは一匹)
 他の固体に備えるべく、視線を巡らした。―驚愕した。四方に、計八つの不気味な瞳が浮かび上がり、あざ笑うように漆黒の闇夜を漂っている……悪夢のような光景だった。
 どちらを向いても瞳の紋様が目に入る。長時間見ていれば、意図的に見ようとはしていなくても、精神を犯されてしまうかもしれない。
 海はあえて踏み込まず、代わりにその場の地面を強く踏みしめた。
 一瞥。同時に、刃が空を舞った。
 それは遠目には逆さ十字に見えただろう。
 血のように赤い逆さ十字が、海の体から発され、それは離れた距離に飛んでいた蝙蝠の一体をバラバラに引き裂いた。
 海は己の精神を、「闇」へと近づけていた。
 心の闇の中に在る背徳の力の顕現、『ギルティクロス』が解き放たれたのだ。
 海はさらに一発、二発、三発と撃っていった。逆さ十字の衝撃波はいずれも敵の身体を過たず捕らえ、異形の蝙蝠を物言わぬ肉塊に変えていく。
 力なく地面に落ちた蝙蝠の羽からは、禍々しく光る目玉紋様が、音もなく消えていった。
 四発目を放つ。しかし、蝙蝠はここでひらりとかわすと、高速で飛びまわり、海の視界から一瞬消えかけた。
 海は尋常ならざる集中力でこの軌道を読み、自らも翔けた。
 解体ナイフを逆手に構える。
 手に伝わる、しっかりとした刃物の重量感は海の暴力的衝動を刺激した。
 飛行する敵の行く先へと最短距離で走る。
 一瞬開いた目玉紋様をたしかに捉え、跳躍する。
 地面へと落下する勢いとともに振り抜かれたナイフはタトゥーバットの胴体に深々と突き刺さり、その勢いで地面へと叩きつけ、地面に磔になる形になった。
 海は瞬間的に、嗜虐的な欲求が湧き上がった。
 そして、力はその欲求に答え、刃の色を緋色に染めて行く。
"燃え滾る血"とは違う、もうひとつの力の根源、"闇に属するもの"の力だ。その顕れは、炎ではなく血に似た色で刃を染め上げた。
 ダンピールのサイキック、『紅蓮斬』。
 ゆっくりと、味わうように、ナイフが相手の血を啜る。
 最後の一体のタトゥーバットは、苦悶の表情を浮かべ、しばらくビクリ、ビクリと動いていたが、やがて完全に動きを止め、目玉紋様も掻き消えた。



 肩で息をした。
 しばらく歩けないほどの、疲労感があった。
 その時、視線を感じた。視線だけだというのに、ひどく冷たい。心が凍てつくような心地がした。
 首をめぐらせ、ゆっくりと振り返ると、そこには、月明かりに浮かび上がるようにして、一人の女が立っていた。

 闇のように黒い衣服、雪のように白い肌、血のように紅い髪。

 海の脳裏に、血まみれになった部屋の光景が浮かび上がった。
 血だまりの中で、父と、母と、二人の弟が死んでいる。

 忘れるはずもない。
 その女こそ幼い日に海の家族を殺した、あの女ヴァンパイアだった。