最後の逢瀬

(1)
 ……とうとう闇墜ちさせることができないまま、ここまで来てしまった。
 武蔵坂学園……
 夜の貴族であるヴァンパイアすら脅かす存在になるなんて。
 灼滅者を闇墜ちさせるぐらいわけはないと思っていた。それがこの結果とは……。
 
 だが、六年。
 決して短くはない時間だった。
 数百年生きたこの身でそう感じるのは、世界の変化があまりにめまぐるしかったから。
 色々なダークネス勢力が武蔵坂学園と戦い、消えていった。
 何より、サイキックハーツが発生した……それも複数……
 そればかりか武蔵坂学園は、人類全てがサイキックハーツとなる選択をした。
 
 だが、勢力の盛衰もサイキックハーツも、私にとってはどうでもいい。
 私は、武蔵坂学園が弱まり、私の目的を叶えられる時を待っていた……
 ……シグール。
 いや、穂照・海。
 
 なぜこんなに彼を求めるのだろう。
 六年の間には、少しは冷静に自分を見つめる機会を持つこともできた。
 それで思い至ったのは……
 
 そもそも私はダークネスだが、
「マルグレーテではない」。
 マルグレーテは、ダークネスではない。
 
 私はマルグレーテの中にいたダークネス。
 それが、あたかもマルグレーテであるように行動している……。
 それは、おかしなこと。
 
 今更、そんな当たり前のことに気づくなんて……。
 けれど、その錯覚は今も続いている。
 ダークネスは不死の存在、ゆえに変化しない。少なくとも私はそう。
 だから問題に気づけたところで対処などできないとも思うけれど、原因を考えるなら。
 
 やはり「マルグレーテ」の、強すぎる感情ゆえにだろう。
 私は彼女の魂の中にいたせいで、彼女の影響を強く受けてしまっている。
 だから私は、「マルグレーテの恋の成就」のためだけに生きるヴァンパイアとなってしまった。
 それが私の存在意義、他には何もない。
 今更気づいても変えられない……。
 
 今はヴァンパイアという種族自体が、危ういかもしれないのだから。
 
 爵位級ヴァンパイアが崩壊したら私は生きてはいけない。
 
 ……いや、武蔵坂学園に投降すれば、あるいは。



 ……無理ね。
 私は恋の成就という目的以外では、あまりにヴァンパイアすぎる。
 武蔵坂学園は人間の機関。
 人間を「ヴァンパイアの数を増やすための家畜」以外と見ることはできない私を受け入れはしない。
 穂照・海だけはマルグレーテの視点を通すから自分と同等に見えてしまうけれど……
 
 欠陥ね。これは。
 灼滅者でもないただの人間の感情が、ダークネスをここまで狂わせるなんて。
 海の前でだけ、人間の娘になるなんて。
 
 彼女の妄念が今も突き動かす……。
 もう待つことはできない……。
 
 私は邪悪さすら恋愛のための手段にしてしまったダークネス。それ以外の何者でもない。
 ならば、これで……いい……。
 これ以外……ない……。
 
 叶わぬ恋なら共に死のう、あの時のように!



(2)
 マルグレーテ……始まりは彼女だった。
 家族を殺し、僕が闇墜ちする原因を作ったのは彼女だが……そのおかげで灼滅者になれた。
 世界の真実を知った。
 できることも増えた。
 初めの頃こそ忌避していたが、総合的に見れば、良かったと思う。
 今はこの生き方こそが、真の自分という感じがする。
 そして、彼女は僕を救ってくれたこともある。
 未だに何を考えているのかわからないが……。
 ただダークネスとして、僕を闇墜ちさせたいだけではないのは確かで、
 しかも、その理由は、決して邪悪なものではないのではないか……と、時間が経った今では思うようになった。
 
 六年。数え切れない程の大事件が起きた。
 それでも、未だに忘れてはいない。
 僕の原点……。
 マルグレーテというヴァンパイアのことを。
 
 彼女に会ったらどうしたい?



 ……殺し合うしかないのだと思う。
 彼女はあまりにヴァンパイアだ。
 僕に対しても、ヴァンパイアが人間に対してする基本的な関わり方をなぞっている。
 欲望のままに支配する。そんな感じだった。
 対して、僕は灼滅者でありたいと願っている。
 一般人としての穂照・海は、あのとき燃え盛る小屋の中で焼死したものと思っている。
 男である以前に灼滅者だ。
 ダークネス人格ではないが……
 僕の場合、灼滅者人格と言っていいものが、一般人としての人格と別に存在している。そう言ってしまえるほどに……灼滅者以前と以後では違う。
 家族のことだってよく覚えてないほどだ。
 
 だから彼女は敵だ。
 迷いなく殺す。



(3)
 2018年6月17日――
 朱雀門・瑠架が武蔵坂学園に対して起こし、黒の王の介入を招いた戦争は、終わった……。
 
 穂照・海は、朱雀門・瑠架が消滅したと聞き、武蔵坂学園へと帰還しようとしていた。
 ……はずだったのだが、どうしてか、たまたま寄り道をしてしまった。
 
 いや、たまたまなどではない。
 彼は探していた。
 ヴァンパイア勢力が来たならあるいは?
 そう思って探していた。
 
 路地裏を抜けて、ひび割れた壁の廃ビルを見つけた。
 
 もしかして、と思った。
 
 ――いた。
 
 崩れた壁から月光が差し込んでいた。暗かったが、中は月光に照らされていたから見えた。月光が彼女の姿を浮かび上がらせていた。
 
 闇のように黒い衣服、雪のように白い肌、血のように紅い髪。
 端正に整った容姿のその女は、月影に良く似合う憂鬱な表情を浮かべていた。
 
「……マルグレーテ」
 
「……穂照・海…………
 来てくれたのね…………
 
 嬉しいわ、これでやっと、私はあなたを殺せる」
 
 瞬時にマルグレーテの腕に砲身が形成された。
 それが発射した――血の弾丸。
 しかしそれは、阻まれた。
 海が瞬時に展開した影業によって。
「キミもそうなのか……」
 いつの間にか海の周囲には影を立体化したようなものが複数浮遊し、様々な形をなしていた。
 皆、おぼろげながら何かの形をなしている。何に見えるだろうか……胎児、踊る女、凶器を持った男、朽ちた死体、脳髄……。
 そのうちの一つが肥大化し、マルグレーテを飲み込もうと飛んだ。
 マルグレーテはそれを横に飛んで避ける。そのスピードは速く、文字通り「飛んで」いた。背中には凝り固まった血で形成された翼が認められた。
 海の影業は群体であるかのように動き、マルグレーテを追いかける。
 だがマルグレーテは自由に飛び回り、あらゆる角度から射撃する。
 海はそれらを全て防ぐことはできず、何発かを受けて呻く。
 マルグレーテは高速で飛び回りながら死角を取り、射撃してくる狙いだった。
 
 ……だが、マルグレーテは突如として床に墜ちた。
 その足には、脳髄めいた形状の影業が巻きついている。
 死角ばかりを狙ってくることを逆手に取って、死角に向けて放ったのだった。
 その瞬間を見計らって海は影業を飛ばす。
 魑魅魍魎が群がるように、影業はマルグレーテの身体を飲み込んだ。
 マルグレーテはそれを振り払う。
 同時に、眼前に躍り出る影の女。
 踊るような不規則な動きで動きまわり撹乱し、それ自体が触れれば切れる刃だった。
 それが視界から消えるや否や、長い棒のような凶器を持った男の影が現れ、マルグレーテを殴りつける。
 横薙ぎの一撃を喰らったマルグレーテは床に叩きつけられた。
 転がって距離を取る。
 そこに、死者の影とも形容すべき何かが群がってきていた。
 喰われる――
 ダークネスたるマルグレーテが、本能的にそう感じた。
 そして群れを成す死者の影の向こうから、海が歩み寄ってくる。
 その双眸には殺意しか伺えない。
 マルグレーテは判断に迷った。
 海を撃つか、逃げるか。
 前者は意思。後者は本能だった。
 とっさに決めることができず硬直する。海が指差した。
 死者の影の群れは一斉に飛びかかり、同化して津波のようにマルグレーテを飲み込んだ。
 影の塊のようなものがマルグレーテを覆った。
 それはすこしずつ蠢いて容を変えた。
 胎児――に見えなくもない。
 
「胎児よ

 胎児よ

 何故躍る

 母親の心がわかって

 おそろしいのか」
 
 諳んじる言葉。
 海が力の源とする言葉、幻想を紡ぐもの。
 
 胎児の夢がマルグレーテを苛む。そして……
 海は手刀を一閃させ、切り裂いた。
 
 恐怖の形相のマルグレーテが姿をあらわした。
 跳ねるように海に襲い掛かっていく。
 
 影喰らいとトラウマのダメージを受けてなお戦おうとする姿は、流石はダークネスというものだった。
 だが。攻撃の動作として完成されていない。
 
「キミの意思を、否定する」
 海は手刀を突き出す。
 
 ――紅蓮に輝く右手が、マルグレーテの胸を貫いた。



(4)
「私は……あなたを得ることも、あなたと共に死ぬことも、できないというの……」
「僕は、死ねない」
「……強くなったのね」
「色々あったから……極めつけは今日だ」
 これまでの戦いでの経験。そして、朱雀門・瑠架を倒したことによって得られた力。
 キリング・リヴァイヴァーの効果持続。
 今の灼滅者は、単体でもダークネスに引けを取らない戦闘力を得ている。
「だが、やらなきゃいけないことも多い」
「恋どころじゃ……ない?」
「恋?
 ……キミは、もしかして……」
 海は悟った。
 このヴァンパイアが恋だけで動いてきた、ということを。
「恋する乙女よりも強いものがあるなんてね」
「……はじまりはキミの恋か」
「少し違うわ……
 四百年前の、ある女の子の叶わなかった恋。
 私はそれを引き継いで、あなたを巻き込んだのよ」
「巻き込んだか……だが感謝しているよ」
「……感謝……?」
「灼滅者になれたのはキミのおかげだ。
 この生き方は……善いものだったと思えるから」
 
 それから、お互いが黙った。
 胸を貫かれたマルグレーテは、海がその気になればいつでも消滅させられる。
 しかし、このままであれば死なない。会話ができる。
 
 それは奇妙な、最後の逢瀬だった。
 
「じゃあマルグレーテ。
 キミは僕を好きではなかったのか?」
「マルグレーテが好きなのはシグールよ。
 あなたはシグールにとっても似てる」
シグール?」
「四百年前にマルグレーテが好きになった男の子。
 だけど立場が違いすぎてうまくいかなかったのよ」
「僕はどうでも良かった?」
「いいえ、似てるというだけでもう良かったわ。だって四百年も孤独だったんですもの……
 けどそれは私の孤独というよりは、『マルグレーテの孤独』」
「どういう意味?」
「マルグレーテは人間、私はその中にいたダークネスなのだから」
「キミはどうなんだ……?」
「私もマルグレーテよ。正確にはマルグレーテの妄念に支配されたヴァンパイア」
「キミも巻き込まれてしまったということか……」
「でも、それで良かったわ。
 マルグレーテがどんなに素敵な気持ちだったのか、わかるから。
 私もそれを感じられたから」
「……人を好きになる、ということが?」
「ええ。
 あなたに会えて、それは私のものになった」
 
「叶わない恋だったけど、ありがとう。
 これは本音よ」
 
「マルグレーテ……
 そんなに長い間、キミは片思いで……」
「一方通行でも対象がいた、この六年間……私にとっては最高の時間だったわ」
「僕は……キミをダークネスとしてしか……」
「言わないで、わかってるから。
 私がどうしようもなくヴァンパイアなのはわかってるから。
 あなたが今日殺してきたミストレスブラッドとなんら変わりない個体なのだから」
 
「けど、その気持ちは、まるで……」
「フフ……ダークネスは灼滅できても……少女の恋は灼滅できない?」
「まるで……別物だ」
「でも分離はできないの。私は、叶うのなら、ヴァンパイアの残虐さをもってあなたを愛するのでしょうね」
 海は沈黙した。
「解決なんてできないでしょ。あなたは灼滅者なんだから……しかも今はサイキックハーツを巡って完全に敵対してしまったんだから……
 私は今は黒の王の配下。最終的にはすべての人類を殺すことになるのよ?
 
 だからせめて、一緒に死にたかった。
 サイキックハーツで全てが一つになるより、その方がいい」
 
「……僕はどうしても、人類の敵にはなれない……!」
「……そう……そうよね……」
「どうしてキミはヴァンパイアになんか!」
「むしろヴァンパイアがどうして、と言いたいのだけどね……」
「僕は少女の恋をこの手で壊すしかないのか?」
「叶わない恋なんて世の中にありふれているでしょう?」
「…………」
「……………………告白されたことないのね……………………」
「…………」
「呆れたわ! こんな事で迷うとか、そんなことで人類が救えるとでも思っているの!」
 瞬時にマルグレーテの右腕に砲身が形成される。海の額を弾丸が掠め、派手に出血させた。
 瞬時に戦闘態勢になる。無意識に。
 そうなれば、マルグレーテの胸を貫いている海の右腕は、引き抜かれると同時に肉体を損傷させる。
 
 マルグレーテは前のめりに倒れた。
 そして、消滅した。
 
 ダークネスが消滅する様子と、まったく変わらない。いくつも見てきた様子だった。



(5)
 マルグレーテ……。
 マルグレーテ、マルグレーテ、マルグレーテ、マルグレーテ、マルグレーテ!
 この喪失感は何だ?
 僕はダークネスを灼滅したのではなかったのか?
 頭の中で何度も置き換える。
 消滅させたのはダークネスなのだと。
 しかしそれは、何度やってもマルグレーテに戻ってしまう。
 この喪失感は。この喪失感は。わからない。消えない。どうすることもできない。
 何故だ。何故だ。
 彼女は……いつも僕の心のどこかを占めていた。
 それが死んだ。だからか?
 彼女は僕にとって必要だったのか?
 だって、敵だろう?
 家族を殺した相手だろう?
 
 ……それだけではない。わかっている!
 だがああする他なかったじゃないか!
 
 死に際に彼女を少しは理解できたと思ったのに!
 でも、それは、彼女を殺す理由にはならない!
 
 彼女はヴァンパイアだ! 殺すしかなかった! 彼女自身もそれを許容した!
 だから気に病む必要なんてないはずなのに、僕はなんで喪失感で一杯なんだ。
 
 あるいはこれが彼女の思いなのか……
 シグールという人を失った彼女の!
 彼女の喪失感が、僕に乗り移ったのか!?
 
 どこまで業が深い!
 
 ああ、闇墜ちしそうだ!
 だが、それだけはするわけにはいかない。
 彼女は闇墜ちしないことを許してくれたからこそ、死を許容したんだ。
 そのマルグレーテがもういない!
 
 僕は取り返しのつかないことをしてしまった。
 彼女は僕の一部だったんだ。
 僕の原点(ルーツ)だった。
 僕を灼滅者としてスタートさせ、生き方に強い影響を与えた。
 僕を狙い、僕を恐怖させ、僕を救い……
 僕の宿敵だが、僕に恋していた。そして……
 僕の手でその命を終えた。
 関わりが多すぎる!!!!!
 なんて強い絆だったのだろう!!!!!
 
 この魂の一部は彼女の形をしていたんだ!
 僕が貫いたのは僕自身だった!
 
 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!




(6)
 幻……
 それは決して存在しないもの。
 
 だが、現実の世界に何の影響力もないかというと、それは場合による。
 
 その晩、穂照・海の前に現れたものは、果たしてどうであったか……。
 
「私はあなたの悲しみ」
 幻はマルグレーテの声でそう言った。
 
「マルグレーテ!」
 海はマルグレーテの姿をした幻に呼びかける。
 
「私はあなたの恐怖」
 幻はマルグレーテの声でそう言った。
 
「そうだ、僕はいつもキミを恐れていた」
 
「私はあなたの自己愛」
 幻はマルグレーテの声でそう言った。
 
「僕は自分を愛でた。キミが僕を求めたように」
 
「私はあなたの勇気」
 幻はマルグレーテの声でそう言った。
 
「勇気……僕にとって、『立ち向かうもの』『倒すべき敵』の象徴がキミだった。恐怖と勇気は表裏一体だった」
 
「私はあなたの力」
 幻はマルグレーテの声でそう言った。
 
「ダンピールの力はキミから譲られたも同然だと思っているよ」
 
「私はあなたの可能性」
 幻はマルグレーテの声でそう言った。
 
「僕は武蔵坂学園で色々なことができた。それは灼滅者だったからだ……」
 
「私はあなたの生き方」
 幻はマルグレーテの声でそう言った。
 
「キミが僕の生き方を決めたと言っても過言ではないな……」
 
「では、私は、どこに?」
 幻はマルグレーテの声でそう言った。
 
「キミはもう死んでしまったよ、マルグレーテ……」
 
「私はなくならない」
 幻はマルグレーテの声でそう言った。
 
「えっ」
 
「現にいまここにいる。では、ここは?」
 幻はマルグレーテの声でそう言った。
 
「ここって……?
 もしかして……僕の心だというのか」
 
「では、どうすれば私に会えるでしょう?」
 幻はマルグレーテの声でそう言った。
 
「キミに、もう一度会える……?
 こんな形ではなくて……?」
 
「私は存在する。
 どうしたらまた会える?」
 幻はマルグレーテの声でそう言った。
 
「急にそんなことを言われてもわからないよ」
 
「あなたはその例を知っている」
 幻はマルグレーテの声でそう言った。
 


「マルグレーテ!」

  

 何度……その幻を繰り返して見たのか……。
 
 結論から言えば、幻の問いかけに、海は答えることができた。
 
 突如として閃きをもたらしたのは、他者ではなく、己自身の知識であったことが、彼らしい所だったが。
 ともかく彼は知っていた、魂を修復する方法を。
 欠落を埋める方法を。
 
(ああ、そうか……。
 かれらはみんな、そうやって生まれてきたのか…………)
 
 海は学園の資料を見ていた。
 そこには、こう書かれていた。
 


ビハインド
愛する人を失った悲しみのあまり、己のポテンシャルを代償に魂を修復し、サーヴァント化してしまった存在です。

 

(マルグレーテ、これでまた会える)
 
(これからの戦いには――
 彼女から受け取ったものが不可欠だ)
 
(それは僕を構成する重要な部分なんだから)
 
 こうして、マルグレーテは再び、
 
 この世界に産声をあげる――



(完)